今夜はTBS「独占!長嶋茂雄の真実 ~父と娘の40年物語~」が放送。
(2015年1月3日(土)よる9:00~)
そこで改めて長嶋監督、V9を達成したときの他の選手たちがどれだけすごいものだったのか考察してみよう。
未だ独身の長島三奈「結婚しない理由」に胸を打たれると話題に…
1965年(V1)
◆91勝47敗2分 勝率.659 日本シリーズ4勝1敗(対南海)
◆長嶋は王貞治に次ぎリーグ2位の80打点を記録した
1966年(V2)
◆89勝41敗4分 勝率.685 日本シリーズ4勝2敗(対南海)
◆長嶋はシーズンMVPを受賞
◆打率.344で5度目の首位打者、本塁打・打点部門では王に次いでリーグ2位
◆村山実が1500奪三振を長嶋から奪ったのもこの年
1967年(V3)
◆84勝46敗4分 勝率.646 日本シリーズ4勝2敗(対阪急)
◆長嶋は入団以来初めて打率部門でトップ10から外れるなど不振のシーズンであった
1968年(V4)
◆77勝53敗4分 勝率.592 日本シリーズ4勝2敗(対阪急)
◆長嶋はシーズンMVPを受賞
◆打点125で打点王、打率は王に次いでリーグ2位、本塁打は王・ロバーツ(ヤクルト)に次いで3位
1969年(V5)
◆73勝51敗6分 勝率.589 日本シリーズ4勝2敗(対阪急)
◆115打点で自身4度目となる打点王、打率.311は王とロバーツに次ぐリーグ3位、32本塁打はリーグ4位
1970年(V6)
◆79勝47敗4分 勝率.627 日本シリーズ4勝1敗(対ロッテ)
◆長嶋は打率が低迷するも105打点を記録し3年連続の打点王
1971年(V7)
◆70勝52敗8分 勝率.574 日本シリーズ4勝1敗(対阪急)
◆長嶋は5度目となるシーズンMVPを受賞(歴代2位)
◆打率.320で6度目となる首位打者(右打者として最多)
◆通算2000本安打を達成(1708試合目での達成は川上哲治に次いで2位、右打者としては最速)
◆敬遠の際、バットを持たずにバッターボックスへ立ったことで話題になった
1972年(V8)
◆74勝52敗4分 勝率.587 日本シリーズ4勝1敗(対阪急)
◆この年からコーチを兼任
1973年(V9)
◆66勝60敗4分 勝率.524 日本シリーズ4勝1敗(対南海)
◆シーズン最終戦で優勝が決まる
◆王貞治が初の三冠王を記録、長嶋は成績の衰えが顕著になり川上哲治監督からも引退勧告を受ける
まとめ
引退勧告を受けていた長嶋はこれを拒否し翌年もプレーを続行。
しかし翌1974年は中日が優勝、V10を逃すと共に長嶋も引退を発表した。
「中日優勝」よりも「長嶋引退」の方が翌日の紙面を躍らせ話題となった。
ただ、V9も確かにすごいが、パ・リーグの方にも目を向けてみると阪急もなかなかすごい。
全9回の日本シリーズで5度対戦しているのが阪急、5回リーグ制覇していることになる。
当時のメンバーはミスターブレーブス長池徳士、世界の盗塁王・福本豊などが率いた。
当時と今の野球を比べるのは少々ナンセンスだが、こういった人達が今のスーパースターたちを育てているのは確かだ。
敬意を表するとともに、今後の野球界発展のため指導にあたって欲しいと思う。